校長ブログ

「姥捨て」という都市伝説

 深沢七郎の小説に「楢山節考」があります。映画にもなっています。その作品の影響で「姥捨て山」という都市伝説があります。長野県にも「姥捨」という地名があります。しかしながら、そんな歴史的事実はありません。「子捨て」や「間引き」は、ありました。江戸時代には農村の人口は増える一方でした。ところが、意外なことに江戸お人口が100万人、京都が50万人で、ほとんど増加していませんでした。その原因は都市の環境が悪くて伝染病などによる死亡率が高かったためだと言われています。ある村の記録によれば、都市に出た奉公人のうち、奉公を終了した者の3割が死亡によるものであったとのことです。当時、土地も含めた財産を相続するのは、長男だけでしたから、次三男や女は都市に出て死んだ者が結構いたのです。口減らしの対象になったのは老人ではなく、若者や子供だったのです。

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