宗教科の教育理念

 高野山高等学校は真言宗の僧侶養成機関として明治19年(1886年)に創設されました。現在は、時代の変遷の中で普通科の設置が求められたことにより、世間では普通学校として認識されるようになりましたが、本校の創立の意義を現在に継承するのが宗教科であります。

 私立学校は宗教団体が経営母体もしくは支援団体となっている場合が多く、それぞれの特色によって宗教教育がなされていますが、本校では僧侶養成を専門とする
「宗教科」の設置が唯一認可されるなど、高野山真言宗の僧侶を養成する機関の1つであります。

 僧侶養成の科であるからといいまして、将来僧侶になる生徒ばかりが在籍しているのではありません。精神修養を目的としている生徒もいます。宗教科生だからといいましても、将来絶対に僧侶にならないといけないという訳ではありません。宗教科での3年間から、すばらしい出会いによって将来別の道に進む人もたくさんいます。

 しかし、宗教科に在籍する人のほとんどは、僧侶に憧れ、将来僧侶になりたいと強く思う人であり、
目標意識が明確であります。また、将来はどうなるかわからないと致しましても、宗教科に在籍する間は僧侶であるという自覚を持って過ごしていただきます。

 全国に同じ学年の高校生はたくさんいます。例えば甲子園を目指す高校生は、その一握りしか頂点になることができません。学力で有名大学を目指す高校生もたくさんいます。しかし、
将来真言宗の僧侶となりたいと志す同じ学年の高校生は宗教科に在籍する人だけです。
 他の高校・大学を経験して僧侶になる方も素晴らしいのですが、お大師さまの弟子として、将来の真言宗を担うことを既に心に決めている人にとって、高野山で学ぶことは、将来の人間関係を育み、一生の友人ができることも間違いありません。高校生のうちに様々な宗教体験をすることは、その後の人生に大きく影響を及ぼし、何よりも
僧侶として生きることへの自信を持つことでしょう。

 近年は宗教界でも不安な時勢となっておりますが、僧侶であること・高野山高校宗教科生であることを
誇りに思えることを念頭において教育致しております。

 
その為に、まず僧侶としての人間形成が最も大切であると考えております。言葉遣いや正しい行動はもちろんですが、心のこもった言葉・行動でなければいけません。心の教育を実践すべく、自身が僧侶であるという自覚と、目標意識をしっかりと持ち、授業や様々な行事による知識の習得や宗教的体験を重ねることによって、僧侶としての人間形成を目標と致しております。

                   以上が宗教科の教育理念です。